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2008年1月

冷凍食品

母は、若い頃から、近所の人々が顔を見せてくれると、喜んでリビングへ招じ入れてお茶を出し、世間話しに花を咲かせる人でした。
私が子供のころ、毎月訪ねてきていた富山の薬売りの人も、必ず上がりこんでお茶を飲んでから薬箱を開き、使った分の薬を確認をして清算し、帰りがけに紙風船をくれたことを思い出します。

認知症になってもその傾向は変わらなかったのですが、お茶は自分が飲んだ出がらしを、時には自分の飲みかけの湯飲みを差し出したりすることもありました。

また、お茶には必ずお茶受けがないと気の済まない方でした。お菓子や漬け物なら良いのですが、お菓子が切れているときなどは、冷蔵庫の中を探して、食べ残した惣菜や、ときには冷凍食品のシウマイなどを出している様子を監視カメラの映像で見かけたこともありました。ご近所の人も、これには驚いていたようです。

お菓子を多めに買って置いておくと、食べ過ぎてしまうので、買い置きを隠しておいて、適量を母の分かる場所に出しておくようにして、ヘルパーさんにもそのように頼んでいました。

満腹感を感じなくなってしまったのか?一人で居るときには、手当たり次第に食べているらしく、帰宅して冷蔵庫の中の冷凍食品や油揚げをかじった跡を見ると、その様子が想像されて、とても惨めな気持ちになりましたし、ずっと一緒に居て介護してあげられない現実がひどく哀しくなりました。

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リハビリパンツ

2006年の初夏の頃から、もともとあった母の便秘性の傾向がますますひどくなり、一週間くらいの便秘はあたりまえのような状態になってきました。
食物繊維の多いものとか、水分を多く摂るようにするとか、気にしながら食事を作ったりしていましたし、ヘルパーさんが作ってくれる食事も気をつけてくれていましたが、運動不足も大きな要因かも知れません。

ヘルパーさんが介護に来られたときは、その日にどんな介護をしたかはもちろん、食事の内容から母の体調や様子がどうだったか、排泄があったか、といった事まで決められたフォーマットの用紙に記入しておいてくれますし、デイサービスの連絡帳にも施設で何をして過ごしたかということの他にも食事の内容と量や排泄についても書いてくれましたから、帰宅したらまずそれを見ると母の体調が大体分かりました。

便秘気味ですから下着はあまり汚れませんでしたが、排便があったときは大変です。うまくトイレに間に合ったときは、私達やヘルパーさんが介助してあげれば問題はありませんが、間に合わないと大変なことになります。
事後にはお湯でタオルを絞って拭き取り、下着はもとより、ときにはズボンまで替えさせてから部屋へ連れて行って休ませ、汚れた衣類は風呂場に持っていって水でよく洗い流してからバケツに移して漂白剤を加えた水に一晩浸してから翌朝、洗濯機にかけます。

正直言って汚れた母の下着を手洗いすることには抵抗がありましたが、自分が赤ん坊のときは母が私の排泄物の付いたオムツを何回も洗ってくれていたのだと思って我慢しました。

そんなことをしているうちに、ある日、デイサービスから汚れた下着をビニール袋に入れて持ち帰り、紙オムツを履いて帰宅することがありました。
これからは普通の下着を使わず、紙オムツを利用しようと、近くのドラッッグストアへ行ってみて初めて、いろいろな種類があることを知りました。
用途やサイズ、構造もいろいろで、袋に書かれた説明を何度も読み比べて、買ってきたのが「リハビリパンツ」でした。

母は、既にそういうものを身につけることに抵抗を示さなくなっていました。

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訪問歯科診療

若い頃は、歯が丈夫で虫歯が一本もないことを自慢していた母でしたが、歳をとるうちに歯槽膿漏などで歯科医院に通い、75歳になった頃には上の奥歯(臼歯)は全部入れ歯になっていました。
80歳を過ぎた頃には下の歯も歯周病や虫歯で痛むことが多くなりました。

膝や腰が痛んで、おまけに認知症で、一人では歯医者へ行くことができなってしまったので、弟か私が付添って行くことにして、予約を取って歯医者へ連れて行こうとしましたが、、いざ当日になると、「歩けない」とか「気分が悪いから今日は行かない」などと言いだして、結局ドタキャンすることがたびたび続くと、もう予約をしにくくなってしまいます。

それからは仕方なく、歯が痛いと言いだしたら直ぐに鎮痛剤を飲ませて凌いでいました。ヘルパーさんに来てもらうようになってからもしばらくは、食事の後で歯みがきを促すと、あまり気が進まない様子でしたが、傍に付き添ってブラシを持たせては、磨くように言い、子供をあやすように、「汚れがきれいに取れたね、サッパリしたでしょう!」などと励ましながら、母が自分で磨くように工夫していました。

それも半年くらいは続きましたが、どうしても拒否するようになってしまい、歯が痛くて食事が思うように摂れなくなってしまったので、ある日ヘルパーさんが心配してくれて、『訪問歯科診療というのがあるから、ケアマネージャに話しておいてあげましょう』と言ってくださったので、藁にもすがる思いでお願いしました。

それまで、歯科の往診サービスがあるとは知りませんでした。間もなくケアマネージャから連絡があり、「訪問歯科診療の手配をしたので、初診の時だけは家族が立ち会って欲しい」、と言われ、私が立ち会うことにしました。
コムスンのコーディネーターと先生、それに歯科衛生士が二人の四人がかりです。
写真は、遠隔監視カメラの映像で見た、訪問歯科診療の様子です。
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虫歯が一本あるが、これはほとんど痛まないはずで、痛いのは歯周病と入れ歯が合わなくなってしまったためと思われる、という診断。
「食後には必ず歯を磨いて、口の中を清潔に保つ努力をしてください」、と言われました。
磨き方も教えてもらい、それからは、私と一緒に食事をしたときは必ず私が歯ブラシを持って磨いてあげていました。

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スーパーヘルパーさん

ある日、仕事中にヘルパーの綾野さんから、『夕食の介護に来たのですが、ドアにカギが掛かっていて開かないのです…』と当惑した様子の電話がありました。
たぶん母が眠っていてドアチャイムの音に気が付かないのではないかと思われました。
ドアを叩く、という手もありますが、近所の人達が何事か?と心配してもまずいので、私に判断してもらうために電話してくれたようでした。

電話をかけて起こそうとしても、家族や親せき以外からの電話は私の事務所に転送される設定にしてあるので、彼女は電話のベルを鳴らすことができません。

私は直ぐに電話してみましたが、母は電話にも出ませんでした。ネットの遠隔監視カメラで見られるリビングの範囲に母の姿は無く、電話のベルが鳴っているばかりです。
いよいよ心配になって、綾野さんに状況を話すと『廊下に面した部屋の窓格子を乗り超えて入っても良ければ入らせてもらいますが…』と言う。

窓の格子は高さが1.5mくらいのところまであり、その上の50cmくらいの隙間からしか入ることができません、私でもかなり困難なことですが、母の状態が分らないので、お願いすることにしました。
わずか5分後くらいには、リビングから母の寝室へ入る綾野さんの姿を監視カメラの映像で見ることができました。
眠っている母を起こしている綾野さんの声も聞こえます。

少し待って電話すると、まだ息を弾ませた綾野さんが出てくれて…、どうやら母は何事も無く、ただ熟睡していただけであったようで、ドアチャイムの電源コンセントが外されていたこともわかりました。
(母は、電気ストーブやテレビのコンセントを小まめに抜く癖がありました)

綾野さんは実に頼りになるスーパーヘルパーさんでした。

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デイサービスの遠足

母がデイサービスに通っていた老人福祉施設は、経験が豊富で、いろいろな催しものをやって楽しませてくれると評判の良いところでした。

お花見や、浅草見物、江戸東京博物館の見学、バザー、稲刈り、なんていうのもありました。
お世話になった約1年10ヵ月の間に、いろいろな遠足へのお誘いをいただきましたが、結局、一度も参加しませんでした。

私が小学校低学年の頃、母は一緒に遠足に付いてきてくれました。私の記憶にはありませんが、母と私が写っている、白黒の記念写真が残っています。

今思えば、母の記憶には残らないけれど、母の遠足に私も一緒に行ってあげればよかったと・・・少し後悔しています。

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特養ホームを申し込む

2006年8月26日に徘徊老人デビューをしてしまった母の介護については、主治医(精神科)の先生とケアマネージャに相談しました。
基本的には母が一人で居る時間を極力少なくすること、ヘルパーさんが帰る時に玄関ドアに施錠してもらうこと。
場合によっては、内側からは開けられないカギを増設することも考えてはどうかと勧められましたが、さすがに母を家の中に閉じ込めるようなやり方には抵抗がありました。

とは言え、またいつ徘徊するか分らないのですから、早急な対策が必要でした。
ヘルパーさんが帰る時に玄関ドアを施錠してくれるようにお願いして、弟か私ができるだけ早く帰宅するように心がけるしか方法はありません。

徘徊が始まってしまうと、常時誰かが一緒に居られるならともかく、私たちの場合、在宅介護はとても難しくなるので、特養ホームを申し込んでおいた方がよいと勧められました。
もちろん、現状ではどこも一杯で、すぐに受け入れてもらえる施設はありませんから、とにかく申込みだけでもしておいて、あとは気ながに順番を待つしかありません。

区のWebサイトで、当時あった7施設の名称と所在地、それに入所待ちの人数を調べ、ホームページがあれば施設の規模や収容人数、サービス体制などを調べました。
入所待ちの人数が多くても収容人数が多ければ回転(?)が速い可能性があります。

ケアマネージャにも相談して入所者やヘルパーの評判なども聞いてみたりしましたが、どこもそんなに悪評のあるところなどはありません。
結局は、母の性格から、従来型(4人部屋)ではなく、個室タイプで、少しでも早く入所できそうな施設、入所後に私や弟が面会に行き易い場所にあること、などが選択の基準になりました。
※現在、同区内には従来型を中心とする施設が11、個室タイプの施設が4つもあるようです。

ネットから申込書をダウンロードして、許される範囲一杯の第三希望まで書き、1~2年待つのを覚悟で、9月の下旬に申請しました。

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特別養護老人ホームにて

これまで、認知症の母との在宅介護のアレコレを書いてきましたし、これからもまだ特別養護老人ホームへ入所するまでには、いくつかのエピソードがありますので、書いていくつもりですが、一旦現在の母と私達の状況を紹介しておきましょう。

プロフィールにも書いていますが、母は昨年2007年の2月に特別養護老人ホームに入所して10ヶ月、現在もお世話になっています。入所以来2週間に1回程度の割で面会に行っています。弟も同じ具合ですから、うまく交互になると、毎週1回は息子が面会に来るということになります。

私も、一日おきに実家に泊まって家事をするという介護生活から開放されて、毎日自宅へ帰ることができるようになりました。

母がお世話になっている特養ホームは個室タイプなので、母専用の部屋がありますが、昼間はほとんど共用のリビングの大テーブルの周囲に集まって、食事をしたり、話をしたり、テレビを見ながらお茶を飲んだりしています。
午後2時頃から30分くらいは、ホールに集まって体操の時間、それが終わると3時には、おやつタイムで、お菓子とお茶をいただいています。

初めの内は、私や弟が行くと、大概はリビングでテレビを見ていてもすぐに解ってくれて・・・、「一日千秋の思い」とでも言うのでしょうか? 涙を流して、本当に久しぶりに会ったように喜んでくれました。周囲の人たちも「ほら、息子さんが来てくれたよ、良かったねぇ」「毎日寂しがってるんだから・・・」などと言います。

ゆっくり歩いて部屋へ連れて行き、途中で買ってきたどら焼きとお茶で、しばらく話します。と言っても、毎日の生活の記憶はありませんから、昨日は何をしたとか、誰が来てくれた、という話しにはならず、「どう、元気?」「ご飯は食べてる?」などと聞く程度。それもあまり要領を得ないので、ヘルパーさんが書いてくれている「介護記録」を見せてもらって、状況を把握します。

3ヶ月くらいで、大分周囲の人たちとも慣れて、お話しもするようになったとか、根が明るくて、自作の歌を歌ったりするし、何かしてもらうと、必ず「ありがとう」と言うので、同じフロアの人達や、ヘルパーさんにも人気があるということでした。
訪問歯科診療の先生に抵抗して腕を抑えられたらしく、腕に青アザができていた事もありました。
※特別に強く抑えなくても、毛細血管がもろくなっているせいか?簡単にアザになるらしいのです、1~2週間で自然に消えます。
部屋で転倒して、おでこが赤くなっていたこともありましたが、まもなく治りました。
夜中に徘徊して、明け方にエレベータの前に居るところを、部屋まで連れ戻されたりしたことも、何回かあったようです(介護記録)
※母の居室は4階ですが、エレベータは暗証番号を押さないと行き先ボタンが機能しないようになっていますから、一人で他の階や外へ出てしまうことはありません。

建物の中は空調が行き届いているので、夏は涼しく冬は暖かく、自宅に居たときのことを思えば、刺激が少ないということはありますが、安心です。
最近は一人では歩行できず、起きている間はほとんど車椅子の生活です。
会いに行っても、自分の息子と解るまですこし時間が掛かるようになり、以前ほど喜怒哀楽が無くなってきたように感じますが、規則正しい生活で体調は悪くないようです。

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