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2008年2月

家族の懇親会その1

2月24日(日)は、母が特養ホームにお世話になって、丁度丸一年になる日でした。偶然ですが、家族の親睦会が実施されましたので、弟と二人で参加して来ました。

夏祭りとか新年会では、職員の皆さんがいろいろ工夫したアトラクションもあったりして、入所者とその家族が楽しく集う機会ではありますが、全員一緒ですから、大変な人数で、家族同士が親睦を深める、といった状況ではありません。

今回は、自己紹介などもして、ゆっくり話しができるように、フロア別、1ユニット(10個室)単位に、日替わりでの実施となりました。
私達が参加したのは、母の居るユニットの入所者10人と、その家族の親睦会ということになります。

当日の参加者は4家族、子供や孫などあわせて10人程度でした。
このユニットに入所している人達がいつも食事をしたり、テレビを見たりして過ごしているリビングで、入所者と一緒にテーブルを囲み、コーヒーとケーキを出してもらって、まずは介護スタッフや看護師が紹介され、その後、入所者との関係やこれまでの経緯、現在の状況などを家族が自己紹介。

家族会の会長さんが進行役をしてくれて、家族の会話を促してくれるのですが、家族同士はほとんどが初対面ですし、あまり明るい話題にはなり難く、プライベートなこともあって、なかなか幼稚園の保護者会のような訳にはいきません。

親睦会の後、席を改めて、家族から施設への要望を聞く場も設けてくれました。

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大変な変わりよう・・・

母は化粧をしない人でしたが、きれい好きで、生活環境は元より自分の身繕いも常にキチンとしていました。
朝起きると直ぐに着替えるので、母の寝間着やパジャマ姿を見たことはほとんどありませんでした。
飾り気は全くと言っていいほどありません。髪はショートカットではありませんが、洗顔した後直ぐに後頭部へ丸め、ビンドメ?で止めて、ネットを被り、キリッと整えて乱れているところを見せませんでした。爪はいつも短く切っていて、マニキュアは塗りません。

そんな母も、2004年の夏頃から徐々に部屋の中の状態には頓着しなくなり、掃除をしないので、私や弟が毎週1回~2回掃除をすることになりました。
今思えば、本当は自分でするように仕向けた方が良かったのかも知れません。

ヘルパーさんをお願いすることになった2005年の春ころには衣類にも全く気を使わなくなり、私たちが着替えさせなければ季節に関係なく、いつでも同じものを着ているようになりました。むろん洗濯もしません。
しかし、おかしなことに、土曜日や日曜日の朝、洗濯物をベランダの竿に干してから昼の食材などを買いに出てもどると、まだ乾いていない洗濯物を全部取り込んで、部屋の片隅に置いてあることがよくありました。
買い物からもどり、「え~っ!もう取り込んじゃったの?乾いていないのに・・・」と言っても無視です、自分ではマズいことをしたと思っていないらしいので、ケンカにもなりません。

髪は伸び放題で輪ゴムで後ろに束ねていましたが、普通の輪ゴムではあまりにも惨めなので、近くのスーパーや100円ショップで中学生などが髪をまとめるのに使う黒いゴムや輪になったものを、なんとなく恥ずかしい気持ちを押して買っって来て、母に渡していました。
それもやがて自分ではしなくなり、私がまとめてあげなければならなくなりました。
でも、後ろでクルッとお饅頭のようにするテクニックは私にはありませんので、ポニーテールにする程度でした。
以前にも書いたヘルパーの綾野さんが来てくれるようになって、いつも真っ先に髪を整えてお婆さんらし~い髪型にしてくれると、自分のことのように嬉しかったものです。

爪も全く切らなくなりましたが、このくらいは私にもできました。特に嫌がることはなく、深ヅメにならないよう慎重に切りました。
私が小さい頃は父が私の爪を切ってくれていたことを、思い出しながら。

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大きなオニギリ

母の在宅介護時代(2005年5月~2007年2月)にお世話になったヘルパーさんは、一般家庭の奥さんのパートタイマーが多かったようで、家事全般に長けている人たちでした。
それでも人によって経験の違いや個性がありますから、当然のことながら介護の方法にも違いがでてきます。

以前書いた綾野さん(仮名)は、家事全般を手早く見事にこなし、さまざまな老人介護施設や病院、いろいろなサービスの利用方法などの情報にも精通していました。
いつも明るく元気で、彼女が現れると部屋が一辺に明るくなるような感じがしたものです。

母が普通の白飯をあまり食べなくなると、フリカケの付いた小さくて可愛いおにぎりを作ってくれて、母は喜んで食べるようになりました。
事情を説明して、他のヘルパーさんにも、おにぎりにしてくれるようにお願いしました。
ところが…。

ある日私が帰宅すると、夕飯用にとヘルパーさんが作ってくれたおにぎりが残されているのを見てビックリ!
大きくて私でも遠慮したいほどしっかり握られていて、硬いのです(^_^;)

どうやらそのヘルパーさんのお宅には、食べ盛りの男の子がいるようで、何度か、小さく軽くしてくれるように頼んだのですが、綾野さんのようにはいきませんでした。

昨年の2月からお世話になっている特養ホームでも最近は、箸はまだ使えるのですが、飯椀に盛られた白飯をあまり食べなくなってしまった母のために、最近は、オニギリにしてもらっているので、面会に行くときは、フリカケを持参しています。

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寒いのが大の苦手

母は長野県南安曇郡の出身ですから、南アルプスの麓で冬はとても寒くて雪も多く、膝上まで積った雪をかきながら小学校へ通ったらしいです。
長じて大垣の紡績工場へ就職しても、当時はあまり良い防寒具もなかったでしょうし、結婚しても貧しい暮らし向きでしたから、きっと寒くて辛い思いをたくさんしたはずです。

そんな記憶があるせいか、寒いのがとても苦手で、冬は私が仕事へ出かけるときも「そんな恰好で寒くないのかい?」と異常なほど心配してくれました。

認知症になってからは夏でもそう言って送り出されるのが毎回のことですから、オカシイやらバカバカしいやら…、うんざり気分で返事をしないまま飛び出したことが何回もありました。ゴメンネ。

2006年の8月の終わりの夜、初めて徘徊老人デビューをして慌てさせられた後は、事故が起きないうちに一日も早く寒くなってくれないかと思っていました。幸い二度目の徘徊をしないうちに冬を迎え、その冬の終り、2007年2月25日に特別養護老人ホームに入所することができたのでした。

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