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2009年1月

母親というものは・・・

まだ母の認知症が軽かった頃は、金曜日の仕事の帰りに実家へ泊まった翌日、季節が良くてお天気がいい日には、ときどきは、30年も前から近くにあって、すっかり行きつけになっている蕎麦屋へお昼ご飯を食べに出かけたものでした。

杖をつき、ゆっくりと歩きながら、丹精された花壇の花を見たり生垣の葉っぱをむしってみたり、子供が来ればあやしたり、通りすがりのご近所の人達と挨拶をしたりして、私だけなら3分も掛からない道のりを10分以上もかけてのんびりと。

途中で会った人達や お蕎麦屋さんの奥さんとも、母は卒のない会話を交わすので、かなり症状が進んで外出さえできなくなるまで 母の認知症には気が付かなかったようでした。

いつも母が頼むメニューは決まっていて「鳥の照焼き重」。私は季節によって適当に変えていましたが、いつも母が半分以上も残した分を食べなければならないので軽いものにしていました。

「お前はそんなものじゃ足りないだろう」と心配そうに言っていましたが、「大丈夫だよ」と答えて(どうせ母さんの残りを食べることになるんだから…)と思いながら、ゆっくり食べていました。

今思うと、私が懐具合を気にして安いものでがまんしているのではないか?と誤解して、わざと残して私に食べさせようとしたのかも知れません。
私がまだ幼くて、極貧生活だった頃から母はそういう人でした。

私か長じて働くようになり、やっと人並みの暮しができるようになっても、自分の分を削って私や弟に食べさせようとする母に、「僕はもう大人になったから、お母さんの分をもらうより、お母さんがいっぱい食べている方が嬉しいんだよ」と言ったこともありました。

今、特養ホームにお世話になっている母は、すっかり認知症が進んでしまって、私の名前も忘れてしまいましたし、面会に行っても会話はあまり成立しません。それでもたまに、うまくしゃべれない口で「ご飯を食べた?」と心配してくれます。

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季節感の喪失

母に認知症の兆候が現れ始めた頃、物忘れがひどいということとは別に、日時の認識が薄れて来ていることを感じました。
最初の頃は自分の年齢を詐称する、悪気は無いのですが病院の待合室などで近くにいる人と話すうち、「おいくつですか?」と年齢を聞かれることも少なくありません。
78歳の頃、「80です」と答えたり、「75です」と答えたり、そのときそのときで言うことが違っていました。
最初の頃は、「母が嘘を言っている」と思えてイヤな気持ちになり、傍から訂正したりしていたものでした。

初めのうちは時間を気にして、「今何時?」とよく聞くのでそのつど答えていました、大きめの壁掛け時計の位置を、できるだけ母が見やすい位置に移してあげて、時計を指差して「○時○分だね」などと言っていましたが、それも徐々に気にしなくなりました。

季節の移り変わりを気にとめない・・・、今が春夏秋冬のいつなのか?といったことにまったく感心がなくなって来ました。年中行事も関係ありません、お盆もお正月も無いのです。
テレビのニュースでも季節感のある風景を映し出したり、イベントを紹介したりしますが、そういった年中行事などにも何も感じなくなるようです。

デイサービスでは、季節を感じられるいろいろな催し物を実施してくれました、春から初夏は花壇の手入れや、桜見物のバスツアー、秋には稲刈りを体験させてくれましたし、年末には浅草の雷門付近に連れて行ってくれたりもしていました。
そのつど写真をくださったので、母の楽しそうな様子がわかります。
でも、「稲刈りをやったんだね、昔を思い出して面白かったんじゃない?」と聞くと、「知らないよ、そんなことしてないよ・・・」
これじゃぁ施設の人たちも張り合いが無いだろうなぁと思ったものです。

以前にも書きましたが、特養ホームに入所する前の年末には、自宅に居るよりもショートステイで年末と正月のいろいろな行事を楽しんでもらおうと思い、12月28日の朝、ショートステイ先の施設に送り出しました。
昼間は施設で実施してくれた餅つきに参加して楽しそうだったらしいのですが、その晩に部屋で転倒、軽い脳挫傷で緊急入院となってしまいました。

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