母親というものは・・・
まだ母の認知症が軽かった頃は、金曜日の仕事の帰りに実家へ泊まった翌日、季節が良くてお天気がいい日には、ときどきは、30年も前から近くにあって、すっかり行きつけになっている蕎麦屋へお昼ご飯を食べに出かけたものでした。
杖をつき、ゆっくりと歩きながら、丹精された花壇の花を見たり生垣の葉っぱをむしってみたり、子供が来ればあやしたり、通りすがりのご近所の人達と挨拶をしたりして、私だけなら3分も掛からない道のりを10分以上もかけてのんびりと。
途中で会った人達や お蕎麦屋さんの奥さんとも、母は卒のない会話を交わすので、かなり症状が進んで外出さえできなくなるまで 母の認知症には気が付かなかったようでした。
いつも母が頼むメニューは決まっていて「鳥の照焼き重」。私は季節によって適当に変えていましたが、いつも母が半分以上も残した分を食べなければならないので軽いものにしていました。
「お前はそんなものじゃ足りないだろう」と心配そうに言っていましたが、「大丈夫だよ」と答えて(どうせ母さんの残りを食べることになるんだから…)と思いながら、ゆっくり食べていました。
今思うと、私が懐具合を気にして安いものでがまんしているのではないか?と誤解して、わざと残して私に食べさせようとしたのかも知れません。
私がまだ幼くて、極貧生活だった頃から母はそういう人でした。
私か長じて働くようになり、やっと人並みの暮しができるようになっても、自分の分を削って私や弟に食べさせようとする母に、「僕はもう大人になったから、お母さんの分をもらうより、お母さんがいっぱい食べている方が嬉しいんだよ」と言ったこともありました。
今、特養ホームにお世話になっている母は、すっかり認知症が進んでしまって、私の名前も忘れてしまいましたし、面会に行っても会話はあまり成立しません。それでもたまに、うまくしゃべれない口で「ご飯を食べた?」と心配してくれます。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


最近のコメント