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2009年6月

かすかな記憶

6月26日、入院してから2日が過ぎました。仕事を終え、夜になってしまいましたが、見舞いに行きました。
直ぐにも生死に関わるような状況ではありませんから、普通なら見舞いの菓子とか花などを持って行くところですが、食べることはできないし、花を持って行っても喜んでくれるとも思えないこともあり、何も持たない寂しい見舞いです。

居室という意味では、特養ホームと同じ個室ですが壁もベッドも白く、少し消毒剤の臭いもするし…当たり前の事ながら、やはり病院は病院です。
腕に点滴のチューブをつながれて、半分眠っているようでした。

何か夢を見ているのか・・・、ときどき「フフッ、フフッ」と笑ったりしていましたが、しばらくすると、うまく喋れない不明瞭な声で「母さ~ん」と言いながら泣き出しました。

「お母さん!」と声を掛けると、うっすらと目を開け、無表情というか不思議そうな顔で私を見ました。「何か夢を見ていたの?」と聴くと、弱々しくうなずいてからまた大声で泣きました。

来週の月曜日に予定されている「胃ろう(PEG)」の手術に関する家族の同意書「胃瘻造設 説明書」にサインをして、「また明日来るね・・・」と言い置いて30分くらいで病室を後にしました。

午後8時、病院からの帰り道には、おぼろな三日月が出ていました。

たぶん私がまだ5歳の頃だったはずです、信州の田舎の雪の積った夜道を、父と母(多分弟が背負われていた)とトボトボと歩いていたときのことを思い出しました。
夜行列車で東京へ出て行くために家族4人、駅へ向かっていたのでしょう。
きっとすごく寒かったと思います、何もしゃべらず、ただ静かに歩いていました。
私は泣いてはいませんでしたが何となく不安でした。そのときも冴えた夜空の、今日と同じ左前方に月が出ていたような…でもその前後のことは何も覚えていません。

この私の記憶について両親と話したことは一度もありませんでした、今となっては母に確認することもできません。

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今朝はあいにくの雨、特養ホームへ行って母の様子を見ると、やはり朝食には全く手をつけず、ヘルパーさんが介助しても食べようとしないし、水分も摂りたがらないとのこと。
半分眠っているような感じで車椅子に座っていました。

部屋からタオルやパジャマ、下着などを紙袋に入れ、歯ブラシやカップなどの洗面用具もビニール袋に入れてもらって、車椅子ごと乗車できるクルマで提携先のM病院へ。

外科胃腸科で予約していることを伝えて、廊下で待つこと20分くらい。
診察室で先日とは違う先生に説明を受け、「胃ろう」造設をお願いした。18日の検査結果による情報提供書の写しも持参していたので、その方向で再検査ということに。

今日は、腹部のCT、レントゲン、血液の精密検査を実施してもらい、「胃ろう」造設が可能であることが確認できた。直ぐに手術という訳には行かないのだが、かと言ってまた施設に戻って待機していても食事も水分補給もままならないのでは体調の悪化も懸念されるため、このまま入院させてもらうことに。

検査室などの前で待つ時間は、「早く~!」「イヤダ~!」などと叫び始めないように、車椅子に座っている母の手を握って、「もう少し待ってね」とか「ずいぶん痩せちゃったよね・・・」などと言って話し掛けています。
意味が解っているかどうか不明ですが、力なくうなずいたり、時には微笑んでくれます。

面会へ行ったときはいつも母の手を握って話し掛けるようにしていますが、採血や点滴のたびに手の甲に針を刺された痕が痛々しく残っています。文字通り骨と皮ばかりとなった手を見ると、この手で小さな僕を抱きしめたり、優しく撫でてくれたり、ときにはお尻を叩いたりして育ててくれたんだなぁ・・・と思うと 訳も無く涙が流れて困りました。

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急遽入院へ

今朝は母の様子を見るのと、施設の主治医の先生にお会いして「胃ろう」造設についてお話しを伺いに行きました。

元々太っていない母ですが、更に骨と皮ばかりの状態になり、小さくなって見えます。上体が左にひどく傾いた姿勢で車椅子に座って、ボーっとしていました。私の顔を見てもほとんど反応はありません。

テーブルにはお茶と、高カロリー飲料のカップが置かれ、シリンジ(針の無い注射器)が入れてありました。若い男性の介護士が、名前を呼び掛けながらシリンジで高カロリー飲料を4センチ程吸い上げ、母の口に差し込んで注入すると、母はちゅうちょしながらもユックリと飲み込みました。

私は先日面会へ行ったとき、介護士の説明で、「吸い飲み」を使って水分補給をしている、と言っていたのを思い出し、ストローがあれば自分で飲むのではないかと思って、先が曲がるストローを持って行ったので、試してみました。
自分でストローを持って・・・とはいきませんが、口まで運んであげるとチャンと口にくわえて吸い込んで飲んでくれました。

使い捨てられるようにストローはたくさん持って行きましたが、自分で飲もうとはしないので、介護士さんに口へ運んでもらうという意味では、吸い飲みやシリンジと同じことですね。

介護の記録を見せてもらうと、一日の水分摂取量は概ね400cc前後でした、この時期、他の人では1000~1500ccくらいは飲まないと水分不足になる、とのことでした。

先日も間接的には知らされていましたから、承知はしていたのですが、今日の面会でも主治医の先生のご意見は「胃ろう」造設が望ましい、と言われました。
また、既に1週間ほども食事がキチンと摂れていないし、水分量も不足しているから、病院へ状況を説明して、緊急入院ということでお願いしてはどうか? ということになり、看護師が電話してくれて、明日の朝、病院へ連れて行くことになりました。

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「胃ろう」造設か?

口からものが食べられなくなるという事は、とても困ったことです。
日々生きていくために必要なエネルギーを得ることができない訳ですから、しばらく様子を見ましょうなどと悠長なことは言っていられません。
特に十分な水分が摂れなければ脱水症状が現れることになり、意識が薄れてしまうこともあるとか・・・。
病院での検査では、血液の状況や心電図、胸部X線検査によるデータとして見る限りにおいては今のところ何とか健康であることが分かりました。
もちろん栄養状態は必ずしも十分とは言えるはずがありません。このまま食べられない、あるいは、食べることを拒否するような状態が続けば、低栄養ということで最悪の場合は死にいたることもあるわけで、要するに飢え死にと同じことです。

具体的な栄養補給の方法としては、鼻から消化管までチューブを通して流動食を流し込むか、腹部に孔を開けて、胃に直結するチューブを取り付ける「胃ろう」造設という手術を受けることになります。

私の身辺にはそのようなことをした人は居ませんでしたから、何も予備知識が無いので、あわててネット検索でいろいろ調べました。
初めはどう書くのかも分からず、ひらがなで“いろう”と入力して検索してみてビックリ!でした。「胃ろう」に関する質問や回答、経験談などなど、大変な数のサイトがあったのです。
胃ろう造設を勧められたが迷っているという人(本人や家族)も少なくありません。
母のように、老人施設に入所していて、認知症で本人の意向は分からない、家族としてはどのように判断したらよいのか迷っているという質問がたくさんあって、片っ端から読みました。
誤嚥による肺炎のリスクがほとんど無くなるとか、胃ろうで体力を維持しながら、少しずつリハビリをして再び口から食事ができるようになる、といった希望的なものや、延命処置としての胃ろうを着けず、低栄養で徐々に体力が落ちて、自然に亡くなるような方向も考えられなくもないが、それは極端な言い方をすれば飢え死にさせることであり、そばで見ていても耐えられないくらい辛いことであると説明している人の記載もありました。
また、老人施設や病院では当然のことながら、ほとんどの場合、胃ろうの造設を勧められる、本人の意思疎通ができないような状態でも、胃ろうを着けたことにより、その後何年生きるか分からない・・・つまり介護をし続けることになる・・・ということも含めて考える必要があることなども知りました。自宅で介護していたら・・・、本人や介護体勢などの状況にもよりますが、やはり考えてしまいますね。

弟にも状況の報告と、胃ろうに関して私が参考にしたサイトのURLを知らせたりして、ほぼ情報を共有しながら電話で相談し、今回は「胃ろう」の造設という方向で行くことにしました。

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病院での検査

6月18日(木)9:30に特養ホームへ行き、母と共に提携先の病院へ診察をしてもらいに行くことになりました。
特養ホームで使用している、車椅子ごと乗ることができる仕様で、ボディーに日本財団のマークが描かれたワンボックスカーが用意され、玄関先まで介護士さんが見送ってくれて、私も同乗して病院へ搬送してもらいました。

始めはおとなしくしていましたが、5分もすると「イヤダー!」とか「ハヤクー!」とか大きな声でわめき出しました、「大丈夫だよ、傍に居るからね」とか「もうすぐだよ」とか声をかけてなだめながら、15分くらいで病院へ到着。

内科外来の受付で事情を説明して、ホームの看護師が書いてくれた情況説明書?を渡して、待つことに。看護士さんが車椅子の場所と私のための椅子を用意してくれて、傍に座って手を握ったり、肩や背中をなでたりしながら気持ちを落ち着かせます。
それでも10分もすると、大きな声で「アーン・・・」とか「イヤダー」とか言いながら泣き出したりするので困ります。

意外に早く、20分くらいで名前を呼ばれて診察室へ。
若い医師が説明書を見ながら、静かに状況を聞いてくれて、血液検査、心電図、胸部X線検査が必要なことを告げられました。
また、口からものが食べられない場合には、鼻からチューブで消化管へ流動食を流し込む方法と「胃ろう造設」という手術をして、胃とお腹の表面に孔を開け、チューブを取り付ける方法があることもていねいに説明してくれ、ここ数日間、食事がキチンと摂れていないようだし、検査を待つ間も大変だと思うから栄養補給の点滴もしましょう、と言ってくれました。

まず、採血で一騒ぎ、あまり大きくないクリニック全体に聞こえるような大きな声で「ヤダー!」「イタイー!」を連発。お腹が空いている割には元気な?大声で叫ぶので傍にいるこっちが大汗をかきました。
採血の後、すぐに点滴用の針に取り替えてチューブを繋いで点滴開始。

その後は、点滴バッグを吊り下げたスタンドと車椅子を押して、B1へ降りて胸部のX線撮影、これもまた大変、X線技師の先生を手伝って衣類をはだけたり、立ち上がれないから車椅子のままで背中側に感光板をあてがったりすると「寒いーっ!」「イタイー!」と大騒ぎ。

心電図は本当は3Fの部屋で計測するらしいのですが、あまり騒ぐので、点滴を受ける部屋へ行ってベッドに横にさせて、しばらく落ち着くのを待っていたら、心電図計一式のワゴンを押して看護師さんが来てくれました。

ご存知の通り、心電図は腕や足首、そして胸には吸盤になっている複数の電極を取り付けて計測するのですが、胸の電極を嫌がって直ぐに外してしまったりするので、看護士さんも一苦労。
何とかなだめながら心電図もプリントできて、検査は終了。そのままベッドで横になり、しばらくすると疲れたのか寝息をたてていました。

待つこと約40分、検査の結果が出たので、私だけが先生のところへ・・・。
血液検査上は問題なし、誤嚥などによる肺炎の兆候も無く健康。食べ物を飲み込めない原因は内科的なものではないらしい。

主治医宛ての「情報提供書」を書いてもらって料金の支払いを済ませ、ホームに電話して迎えをお願いし、到着の時刻を見計らって母を起こして車椅子に乗せ、来たときと同じようになだめながら施設へもどりました。この間約2時間半。

ホームの看護師に「情報提供書」を渡し、チューブによる摂食補給の話しを伺うと、ここの特養では、鼻からチューブを入れる方法には対応できない、「胃ろう」であれば、その後の介護(看護)の対応ができる、というお話でした。

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食事が摂れない

先週は、お世話になっている特養ホームの介護福祉士さんから3回も電話がありました。

昼食のときに食べ物でムセてしまったので、吸引して食べ物を取り除いて事なきを得たが、その後3時頃、ベッドで嘔吐があった。
バイタルチェックでは異状が認められないし、発熱なども無いので、このまま様子を見るが、それで良いか? という連絡。

朝の4時頃にベッドで嘔吐していることが分かったが、血圧、脈拍、体温などには異状が認められないので、このまま様子を見る、という現状報告。

食物を飲み込むことがうまくできなくて、食事が摂れていない、精神科の医師から処方されているクスリの影響の可能性を考え、服用を控えているが、水分の摂取量も200ml/日と少なく、このままでは脱水症状になる可能性が懸念されるので、点滴をしている、という現状報告などでした。

食べ物や飲み物を飲み込むことがうまくできない、「摂食・嚥下障害」と言うのでしょうか・・・。

すでに箸やスプーンを使って自分で食べることができなくて、ご飯とおかずを細かく刻んだものを小さなおにぎりにしてもらって、手で掴んで食べるようになっていました。
本当にユックリで、マイペースで食べるので、他の入所者よりも30分ほど早く食事を用意してもらって、それでも遅れながらもほとんど食べ切っていたのです。

私が昼食時に面会に行き、食事の介助をしているとき、スプーンで口元へ運んであげると何とか食べるのですが、飲み込むのがうまくいかない様子ではありました。
とくに味噌汁やスープなどの水分を飲み込むのに苦労しているようでした。

6月13日に面会に行ったときも、1時間も傍に居て昼食の介助をしたのですが、ボーっとしていてひどく眠そうで、結局何も食べず、飲まずでした。
精神安定剤は二日ほど前から服用を控えているそうですが、反応は鈍く、半分眠っているような状態です。

このような状況が続くと低栄養となってしまうので、場合によっては手術で胃や消化管に直接流動食を流し込むようなチューブを取り付ける方法もあるが、どうするか?と問われました。
もちろん施設は病院ではないので、医療行為はできないため、まずは、一旦提携している病院で検診を受けてから考えることにしました。

終末期医療についても本気で考えなければならない状況になってきたのかも・・・。

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介護保険 負担限度額認定の申請について(更新)

母が居住している区の介護保険課から、タイトルのような事務連絡の用紙が届きました。

要介護認定を受けて(最初は要介護3でした)、ヘルパーさんに来てもらったり、デイサービスを利用したりしていた頃から、利用料金を支払った後、数ヶ月してから、支払った利用料の一部(負担限度額を超えた分)が還付される、というもので、本人(及び同居親族)の収入額を、区が一定の基準に照らして審査・認定するために、本人または代理人が申請するというものです。

これを提出しておくと、3週間後くらいに「介護保険負担限度額認定証」というのが送られて来ます。数年前の国民健康保険証(現在は名刺サイズのカード)のような感じのもので、老人施設を利用する場合の食費、居住費または滞在費の限度額が書かれています。

施設に入所したり、デイサービスやショートステイを利用する場合には、必ずこの認定証を提示することになっているもので、母の場合は入所しているので、認定証を施設の事務方に預けています。

毎月の施設利用料と、負担限度額の差額が数ヵ月後に母の口座に振り込まれるという訳です。私のところには、毎月「介護保険 高額介護(介護予防)サービス費 支給結果通知書」というものが送られて来ます。

本人支払額がいくらで、給付(還付)決定額がいくらか、いつ振り込まれるかといったことが記載されています。
母の場合は、だいたい本人支払額の半分くらいが給付額になっています。これは利用している施設によって料金が異なりますし、本人の負担限度額も人それぞれなので、他人のものを見たことがありませんが、皆違うのだと思います。

区や、市町村によっても違いがあるのでしょうね。

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