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2009年7月

「胃ろう」造設で元気に

7月10日に退院してから、8日目の今日、面会に行って来ました。

お昼前の11:30に行くと、そろそろ昼食の準備で皆さんリビングに集まっていて、母も車椅子でいつものテーブルの前に居ました。
私の顔を見ると急に大きな声を上げて泣き出しましたが、間もなく治まって穏やかな表情になりました。いつものようにヘルパーさんや他の入所者の方が「ほら、お兄ちゃんが来てくれた、良かったねぇ!」などと口々に声を掛けてくださり、私も母も何となく照れくさいような感じです。

退院した時は、採血や点滴による内出血で、両手の甲にできていた痛々しい暗い紫色のアザもきれいに治って両手とも温かく、微熱があるような少し不自然に赤味をおびていた顔も通常の肌色になっていました。
昨日は施設の理容サービス(有料)の日で、髪をカットしてもらってサッパリしていて、見るからに元気そう。

他の入所者の皆さんには次々とトレーに載せられた食事が運ばれますが、当然の事ながら母のテーブルには何も無し、やがて看護士さんが高カロリー流動食のバッグを持って現れ、胃ろうのチューブに、点滴のようにつないでくれました。
1回300kcalで、約1時間かけて少しずつ流し込みます。その間、「前より元気になったね」とか「髪を切ってもらってサッパリしたね」とか言いながら、母の兄弟の名前を言ったり、以前住んでいた地名を言ったりして母の表情の変化をみていたのですが。

うまくしゃべれないながらも「もうヤダー」とか「ヤダ・ヤダ・ヤダァ・・・」と大声で言ったり、「早くうちへ帰りたいな~」とつぶやくように言っていました。
認知症が少しの間だけ軽くなったような気さえして、私まで少し元気になって施設を後にしました。

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退院

6月24日に入院し、29日に胃ろう造設の手術を受けて2日後辺りから、胃ろうからの栄養補給が始まり、経過は良好ということで、退院できることになり、今朝迎えに行きました。
病室の母に声を掛けると、“ニッコリ”とうなずいてくれました。検査を受けに来たり入院したときに比べたら体調が良いのかも知れません。

ときどき意味もなく「あぁ~~!」などと大声を上げますが、昔から何か気に入らないことがあったりして、ストレスが溜まると大きな声を出す傾向があったので、元気だな・・・と思うようにしていますが、病院では周囲の患者さんへの迷惑ではあります。

2006年の年末のショートステイ先で夜に転倒し、軽い脳挫傷で夜中に救急病院へ運ばれてそのまま入院、正月を病院で迎えたときは、外科の6人部屋で、今よりも元気があったこともあり、大きな声で私を呼んだり、母を呼んだり、ときには鼻歌を歌ったりしたので、3日目には医師から呼び出され、「他の患者の迷惑だからもう退院してくれ」と宣告されて、追われるようにして退院したこともありました、悔しかったことを忘れません。
その病院は認知症の患者は診てもらえない、という噂の病院だったらしいです。

今回は最上階の個室で、7部屋ありますが隣室の片方は当直室で、もう片方は空いていましたから、迷惑がられることも無く、無事に必要な日数だけ入院させてもらえましたが、1日当たり¥12,600はやはり高い!17日間の差額ベッド代だけで¥214,200にもなりました。

治療費は保険が利きますが、その他消耗品・・・紙おむつ、尿取りパット、お尻拭きナップ、流せるティッシュ、使い捨てゴム手袋(100枚セット)、マジックテープ式の腹帯なども買うことになり、なかなかの出費です。
6人部屋ならもっとズッと安く済んだのでしょうが、途中で追い出されるようにして退院させられることを思えば、今回は仕方なかったのでしょう。

入院中は、特養ホームで担当の介護福祉士さん達が見舞いに来てくれたりしていたようですし、今日の退院には二人も迎えに来てくれて、本当に助かりました。

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昔の話しはできますか?

昨日は、母の弟夫妻と私の弟と私の4人で見舞いに行きました。

今年73歳になる母の弟のY叔父とは、もう5年以上も前になるだろうか・・・? 『パソコンを使えるようになりたい』と言うので、ノートPCを一緒に買いに行き、仕事の都合で借りている叔父のアパートへ週に1回(2時間)の割合で 私が通って、電源の入れ方から始めて、ワード、エクセル、インターネットの使い方やメールの使い方も教えて以来、キータッチの上達と、使い方を忘れないためにも、毎週1通以上のメールのやり取りを続けて来ました。

母と私たちの生活に関する良き理解者です。

私が特養ホームへ面会に行く度に、携帯のデジカメで撮った写真を添えたりしながら常に母の様子を知らせて来ました。
今回も入院する前から、胃ろうの手術が必要になったことや、胃ろうとはどんなものかを紹介しているサイトのURLを知らせたりしていましたので、状況は理解してくれていました。

病院の場所も病院のアクセスマップのURLをメールで知らせてありましたから、現役の個人タクシードライバーの叔父は奥さんと一緒にクルマで来てくれました。

病室に入ると、持ち前の大きな声で「どう?元気?」から始まって、まるで認知症で名前も分からなくなっていることなど関係ないかのように、ポンポンと話し掛けました。6人兄弟の名前を次々と言いながら、「皆元気にしているよー!」「だから早く良くなってね」などと言います。

私や弟では、祖父母のことや、5人もいる母の兄弟である伯父や叔母の名前などはそう次々には出てきません、母の反応は殆んど最近の様子と変わらず無表情でしたが、それでも傍で見ていると、たぶん母の頭の中のどこか深~い記憶の底に響くものがあるのではないか?と思いたくなりました。

他人には無理なことですが、こんな風に毎日少しずつでも昔の記憶を呼び覚ますような話し掛けを続けていたら母の記憶が甦ってくるのではないかと・・・心の、あるいは脳のリハビリのような効果が期待できるのではないか?とも感じました。
事故で植物人間状態になってしまった我が子に、母親があきらめることなく毎日呼び掛けていたら、ある日意識がもどった、というような奇跡的な話しを聞いたことがあります。

昨年の今頃は、母はまだ自分の生まれ育った昔の住所を言うことができました。施設で介護をしてくれているヘルパーさんも名前を聴いたり、昔の住所を聴いたりしてくれていたようです。これからは私も面会に行く度に、私の知る範囲でしかできませんが、昔の話しをしてみようかと思います。

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病院の個室と特養ホームのリビング

6月24日から胃ろう造設のために入院中の母ですが、一昨日も見舞いに行くと、元気のない様子で、なすすべも無くベッドに横たわっているだけです。個室ですから時折看護士さんが点滴の様子を見にきたり、介護士?さんがオムツの状況を確認しに来てくれる以外は、まったく静かな部屋に一人でじっとしているだけ・・・。

面会に行っても、私のことが誰なのか解っているとは思えない表情で、遠くを見ているような印象でしかありません。

「熱は無いようだね」とか「お腹はまだ痛いの?」とか聞いてもほとんど反応はありません。何度も話しかけていると、そのうち『ヤダナー』とか『ハヤクー』とか言うこともありますが、会話が成り立つわけでもなく、こちらが心細くなってしまいます。

認知症がかなり進んでいるので、寂しいとかは、あまり感じていないのか?どうか・・・そこのところは私にもよく分かりません。
病院でも最上階の個室ですし、 病院のある地域は住宅地のど真ん中で、クルマや電車の騒音も無い代わりに、なぜか鳥の声も聞こえず、ときおりナースステーションから看護士を呼ぶ声が天井のスピーカーから聞こえるだけです。ラジオか何かを持っていってあげたほうがいいのかな?

特養ホームへ戻れば、たぶん一日中ベッドということはなくて、本人が拒否しなければ車椅子に座らせてもらって、他の入所者と共同のリビングルームでテレビの見えるところに居させてもらえるはずです。最近ではテレビを見ている様子も無く、ただボーっとしているだけですし、本人にとって、本当のところは解りませんが・・・それでも居室で一人、ベッドに横になっているよりは良いように思えるのです。

殆んど反応は無くても、「また来るからね・・・」と言い置いて、おでこにそっとキスをして病室を出るとき、『かあさ~ん』と弱々しい声で言っているのが聴こえました。
私にはどうしてあげることもできない空しさと、重たい気持ちを抱えて帰ってきました。

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「胃ろう」造設

6月24日に入院してから5日目の朝、6月29日(月)いよいよ「胃ろう」造設の手術をしてもらう日になりました。
口から内視鏡を入れて行う方法は、手術としては簡単なものであるらしいことは、施設の介護士からも説明を受け、ネットでも体験談や手法などについて調べて知っていましたから、あまり心配はしていませんでした。

10:30頃、執刀される外科・胃腸科の先生が現れて、後ほど予定通り「胃ろう」の手術をすることを私に告げられました。

昨日見舞いに来たときに、看護士さんからは、手術後に腹部を保護するための腹帯(マジックテープで簡単に着け外しのできるタイプ)を買っておくように言われ、病院の近くにある大型のドラッグストアへ行って店員にも聴いてみましたが、お産用のサラシの腹帯しか置いていないことが分かっていましたので、病院内の入退院事務所で買いました。

11時になると二人の看護士さんがストレッチャーを押して病室まで迎えに来てくれて、憔悴した無言の母を手際よくストレッチャーに移し、狭い病室から注意深く廊下に出ていきました。私は付き添う必要は無い、と言うので腹帯を渡して後を見送りました。

本当に簡単な手術なのでしょう、約30分で戻って来ました。
全身麻酔ではありませんから、意識はありましたが、母にとって口から内視鏡を入れられたのは初めてのことですから、さぞ恐ろしく、苦しいものだったに違いありません。

「お母さん、お疲れ様でした」と声を掛けました。
少し咳をしながら苦しそうな息をして、すっかりくたびれた様子で小さな声で「・・・お腹が痛い…」と言って、じっと私の顔を見ていました。

「もう頑張って食べたり飲んだりしなくてもいいんだよ」「食事の心配はいらなくなったね」と言いながら、"もう母とは『美味しいね』と言いながら何かを一緒に食べることは多分できないのだ"と改めて思いました。

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