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2011年4月

こんなことも。

だいたい2週間に1回のペースで面会に行っていますが、もうほとんど意思の疎通が
できない母なので、行ったときベッドに横になっていれば傍らに座って暫く見ていたり、
車いすに座らせてもらってリビングに居るときは、近くに椅子を借りて手を握ったり、
頬に触ったりしながら、少しだけ話し掛けたりしています。
それでも、どうしても間が持たないので、短いときは30分、長くても1時間程度で
帰ってきてしまいます。
相変わらず、アァ~、とかウワァ~!とか、意味のない叫び声を上げるばかりです。

昨日、自宅に居りましたところ、施設のヘルパーさんから電話があり、
昼の経管栄養中に、同じユニットの他の入居者さんが母の顔を殴ってしまった、
鼻の右側が少し赤くなっているが、出血したりはしていないので、大丈夫だが、
様子を見ている。目が届かなくて申し訳ない、とのことでした。
(殴った人は被害妄想癖があるらしい)

しょっちゅう、意味のない大声を上げている母の様子は知っていましたし、他の
入居者さんにはご迷惑で申し訳ないことだなぁ、といつも思っていたので、まぁ
そんな事もあろうかと、受け止めました。

今朝、見舞いに行きましたら、鼻の右側が少し赤く、部分的にチョッとだけ紫色に
なっていたので、多少痛そうに見えました。
こんなことがもし、母がまだ若い頃に起こっていたら大変です。
母も直ぐに反撃に出て、相手の方はただでは済まなかったでしょうから・・・、
むしろホッとしたくらいです。

父が亡くなる前に、母に言い遺したことは、『くれぐれも近所の人と喧嘩をするなよ』
だそうですから、身体は小さくても気の強い母であった事がうかがえます。
母には穏やかな老後を送ってくれることを祈るばかりです。

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心配してもどうにもならないのが現実。

3月11日の東日本大震災の時、私は帰宅難民となり、自分の家族との連絡を
とるのに苦労していました。
母のことも心配ではありましたが、交通機関がマヒしていたし、施設に電話を
しても当然のことながら、まったく繋がりませんでした。

母も若い頃であれば大騒ぎで大変だったと思うが、今では何も理解できない
状態になっていることもあり、本人は大丈夫だろうと考えられました。
5年前の自宅介護の頃だったら、と思うとどうして良いのか分かりません、
どちらにしても、足の便がなにもない状態で、安否確認すらできないのでは、
事実上、心配してもどうにもならないと思い知らされました。

施設には、2日後くらいに電話しても話中で繋がりません、もし母の身に何か
あれば、連絡があるだろう、何も連絡が無いのは無事であるに違いないと
解釈するしかありません。

身勝手な話ではありますが、私の仕事も多忙を極めていたこともあり、結局
地震の後、面会に行ったのは3月19日でした。
施設は何事も無かったように平常を保っていましたし、母もいつもと代わらず、
リビングで車いすに座らせてもらっていたので、内心ホッとしたのでした。

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