« 今では叶わないこと | トップページ | きみに読む物語 »

胃ろう造設の是非を問う一文。

胃ろうについては、2年前のほぼこの時期に胃ろう造設に至る経緯を含めて3回ほど書きました。

先月、立ち寄った駅の書店で、『老後の核心』というサブタイトルに惹かれて、文芸春秋スペシャル季刊夏号を手に取りました。

60歳からの経済的な不安、健康面での変化、できるだけ長く自宅で暮らすための知恵、食生活のこと、混沌を生きる、困った時は役所に頼れ・・・などの小見出しがある。

「混沌を生きる」では、
この困難な時代に人生の後半を送る私たちは 
どのように生きていったらよいのだろうか。
どのようなものの見方をすればよいのだろうか。

というリードの後に、
曽野綾子、養老猛司、鎌田實などを始め、20名の著名な作家、医師、学者などが、それぞれの立場から思うところを語っています。
東日本大震災以降の世情を取り上げているものが多い中で、「老衰と胃ろう」石飛幸三(特別養護老人ホーム芦花ホーム医師)の一文に出合いました。

氏の言わんとするところをキチンと伝えるには全文を転記しなければならず、私には要約するだけの力量がないので、誤解を恐れつつ一部を引用しながら、私なりの解釈を書かせてもらうことにします。
口から食べられなくなった老人に胃ろうを付けてまで生き長らえさせることの是非について書かれている、勇気ある一文だと思ったのです。

・・・患者が口から食べられなくなった時、胃ろうを付けて生かさないのは“責任放棄”だとして医師が治療を放棄したということで訴訟になることを恐れた結果ともいえましょう。つまり医師は家族に向かって、胃ろうと付けないと「このまま食事を与えないで、餓死させることになり、それは犯罪である」と言うのです。・・・・

私の場合について言えば、母が誤嚥による肺炎のリスクが高くなったことや、このまま食べずにいれば、低栄養となり餓死することになる。水分も摂れなくなると脱水症状を引き起こす可能性もあり、入院することにもなる、という状況。もちろん特養ホームは病院ではないので、緊急の対応はあるとしても、恒常的な点滴などという治療を続けることはできません。

そこで胃ろうの造設を薦められました、『犯罪である』とまでは言われませんでしたが、「このままでは餓死させることになり、それは本人にとって体力的に苦しいことなのだ」という意味の話があり、それでは可哀想だと思い、胃ろう造設に同意したのでした。

・・・ですが、よく考えてみて下さい。食べさせないから死ぬのではないのです。
目の前に死が迫っているのだから食べることができないのです。・・・・

・・・「“死期が来たかどうか”をどうやって決めるのか、また誰が決めるのか」としばしば問われます。確かにそうです。それは本人が決めるのです。本人に生きる力があれば自分で食べるでしょう。そもそも本人以外の者が決めることではないのです。本人の体が決めるのです。自分の死期が来たから食べないのです。自然に任しておけば穏やかな最期が迎えられるのです。喘ぐような最期はありません。食べなくなって眠って、眠って、そうして静かに息が止まります。・・・

胃ろうを造設して半年後くらいに、施設で開催されたターミナルケアの説明会に臨んだときにも、ある看護士からほぼ似たような説明を受けました。そうだったのか、本人がそれほど苦しい目に遭わないのなら、胃ろうを付けることに同意するのではなかった、と思ったものでした。

・・・今我が国では老衰の果てに認知症の人の80%が胃ろうを受けているのです。自分がして欲しくないことは相手にもしない。これは倫理の基本です。今や我々は皆で迷い道に踏み込んでいるとしか思えません。医療には命を救う使命と共に、命の自然な最期を支えるというもう一つの大切な役割があるはずです。何もしないことが本当に患者のためになるならば、それも立派な医療行為ではないでしょうか。

と結んでいます。

2年前のように、「食べてくれません」とか「発熱がありました」とか「水分が思うように摂れていません」などという報告を聞くこともなくなりましたが、今となってはすっかり認知症が進み、面会に行ってもほとんど意思の疎通は無く、多分本人も生きているという自覚すら無いのではないかと思われてなりません。
泣き叫ぶような声を上げるばかりの母を見ていると、2年前に胃ろう造設に同意したことが悔やまれ、親不孝をしてしまったと思うこのごろです。

|

« 今では叶わないこと | トップページ | きみに読む物語 »

「心と体」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/448039/40673227

この記事へのトラックバック一覧です: 胃ろう造設の是非を問う一文。:

« 今では叶わないこと | トップページ | きみに読む物語 »